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同性愛者のおかれている状況
 

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(1)自己表現を奪われる同性愛者
(2)同性愛者の発達における危機
(3)同性愛者の生活権

同性愛の基礎知識・カテゴリー
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1.同性愛者のイメージは作られています
2.同性愛者のおかれている状況
3.同性愛者から社会へ
4.同性愛者と新しいライフスタイル
5.このホームページへアクセスした皆さんへのメッセージ
6.同性愛に関する電話相談の紹介

 
(1)自己表現を奪われる同性愛者
 

 私たち同性愛者の多くは、自分で自己表現することができないでいます。公に自分の思いを発表する場がないばかりではなく、常に、世間に、勝手な、それも否定的なイメージを作られ、さらには、日常生活の中で実際に笑われたり、からかわれたり、無視されたり、軽蔑されてしまう中で、自由に自分のことを話すことが困難な状況におかれているのです。

 マスコミについてはくり返しになりますが、ここでも重要なポイントになるので、ひとつ例をあげましょう。数年前、TBS系のあるバラエティー番組の中で、ゲイのカップルを紹介するというコーナーがありました。それを見て、私はとてもびっくりしてしまいました。ゲイのカップルがふたりで手をつないで道を歩いているシーンに切り替わったとたんに、効果音で「笑い」が入っていたんです。会場の人が自然に笑ったのではなくて、笑いをとるために、わざわざ入れたわけです。これは、男どうし、あるいは女どうし、つまり同性が手をつないで歩いているところがあったら笑っていいという、メッセージを、マスコミが日夜発信していることになるわけです。ある調査によれば、ゴールデンアワーだけでも、テレビで一日に三回から四回は同性愛、あるいはニューハーフの人たちを「オカマ」という様な言葉で嘲笑する映像が流されているそうです。

 こうした「刷り込み」や「子どもがいてこそ幸せ」という価値観からはみ出るものを認めない世間の「常識」によって、職場や学校などで、自分が同性が好きだと話すことは極めて難しくなります。現実に職場や学校(そして家庭でも)で、笑われたり、陰口をたたかれたり、嫌がらせがあってそこにいられなくなるという例まであります。つまり、同性が好きだということがわかると、いろいろな不利益が生じるために、同性が好きだということを、隠さざるを得ないわけです。隠したくて隠しているわけではなくて、隠さざるを得ない場合が圧倒的に多いのです。

 そうするとどんな状況になるでしょうか? 日常生活で、使わなくてもいいエネルギーをたくさん使わなければならなくなります。例えば、周囲の人との雑談ひとつとっても、異性愛が当たり前の会話がされていますから、自分の話したいことを伝えていくどころか、24時間365日、「もうひとりの(=異性愛の)自分」を作って、周囲に話を合わせていかなければなりません。「どんなタイプの異性が好きか」「どのタレントが好みか」といった何気ない質問にも、ぐっとホンネをのどのところで抑えて、(ときにはあらかじめ用意した)「心にもないこと」を答えなければなりません。

 さらに、年齢が高くなってくると、「恋人はいないのか」「なんで結婚しないのか」というよけいなおせっかい的つっこみにも対応しなければならなくなり、聞く側が飽きるまで、私たちは答えに悩まされ続けることになります。

 こうした、 「もうひとりの自分」を「創作」して演じ続けざるを得ない過程で、自分でも「ほんものの自分」とごっちゃになってきて、 自然にやっているかのように勘違いしてしまうことすらおこります。それをしんどいとすら感じられないくらいに、「仕方ない」とあきらめてしまうか、何も考えずに自動的に反応してしまうようになるわけです。あるいは、そういう自分の「二重性」に対して、罪悪感にさいなまれ、「自分が同性愛者だからいけないんだ」といった形で、自分を責めてしまうことも少なくありません。 自分で自分を否定的にしか見られなくなってしまうわけで(世間が作り出したイメージがそれに追い打ちをかけます)、こんなに残酷なことはありません。

 そうした状況の中で、とりわけしんどい場面は、周囲が同性愛を話題にしたときです。多くの場合、「やっぱ、気持ち悪いよねー」とか、「あれだけは許せない」とか否定的な会話になり、ときには、笑いの種にもされます。その場にいるだけでも、自分に対する自信を失っていくのに、そこで、同調せずに、話にのらないでいたり、反論でもしたりしようものなら、たちまち「あなたもレズなんじゃないの?」「お前ホモかよ」と疑われてしまい、以後「怪しい」というレッテルを貼られてしまうかもしれません。ではどうするか? いっしょに笑ったり軽蔑的な言葉を言ったりせざるを得ません。これは、自分で自分を見下し笑い否定することになりますから、自尊心はしぼんでいきますし、卑屈な気持ちで心がおおわれていくことになります。

 「もうひとりの自分」を作って生きざるを得ないということは、となりに同性愛者がいてもわからない、ということにもなりますから、同性愛者は、ひとりひとりが分断されて、孤立化させられており、同性愛者どうしの出会いのチャンスも大きく奪われていることになります。それは、自分が同性に魅かれる気持ちを表明し共有する相手が誰もいない、したがって、と自分の同性に魅かれる気持ちを肯定することができないということも意味します(異性愛者は逆に日常生活を通じて十二分に異性を好きになる自分を肯定できます)。別の角度から見ると、 ここに同性愛者がいるんだけれども、全く存在しないかのように、そして、異性愛者であるかのように、あたり前に平然と異性愛の会話が、それを誰もおかしいと思わずに、なされていってしまう、ということになります。

 自分の中のかなり大事な部分である、同性を好きになることを周囲に見せないまま生きていくことは大変で、自分らしく生きることもままならないということになります。自分らしく生きていく権利が「人権」の中味なはずですから、同性愛者が、自己表現を奪われ、自分らしく生きていけない、という現実は、「人権」の問題あるいは「差別」の問題だと言っていいでしよう。

 「日本には同性愛に対する差別はあまりなく(外国に比べ)寛容なのではないか」という言い方がいまだにされています。しかし、今でもほとんどの同性愛者が自分を周囲から「見えない存在」にせざるを得ない、「みんなが異性愛でなければならない」という強制力がきわめて強い、という状況を「寛容」と表現するのは、あまりにも現実を無視した使い方になるのではないでしょうか。

 確かに、98年に起こったマシュー・シェパードさん(21)殺人事件などを見ると、アメリカの同性愛に対するバッシングは、州や地域によっては、すさまじいものがあります。ワイオミング州のゲイの大学生、マシュー・シェパードさんが、ゲイを装ったふたりのヘテロ男性に、バーから誘い出され、車の中で、ゲイであるというだけで暴行され、ピストルの台尻で頭がい骨を粉々に砕かれ、柵に縛りつけられたまま放置されて死んでいたところを発見された、という事件です。これはただアメリカが怖い、という話ではなく、日本では、同性愛者に向かって石を投げようと思っても、石を投げる対象が見えない、だから石を投げられない、というだけなのではないでしょうか。事実、同性愛者が暴行を受けるという事件も起こりはじめています。やはり、きちんと、「人権」の問題だと認識しておく必要があるのではないでしょうか? ときどき、「同性愛の問題っていうのは単なる個人のプライベートな問題なのに、それをわざわざことさらに話すのはおかしいのではないか」と言う方もいます。しかし、 たとえひとりであろうと、同性愛者であるというだけで傷つく人がいれば、これはやっぱり問題だと思います。ましてや、自殺をしかけたり、本当に自殺をしてしまう人も現実にいる。 かなりおおぜいの同性愛者が自分らしく生きられないということは、全く個人的な問題ではないと思います。

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(2)同性愛者の発達における危機
 

 思春期は、人間にとって、自我を確立して成長していくためには避けて通れない、動揺・混乱する不安定な時期で、「危機」と呼ばれるほど、乗り越えるのが大変な人生の一ステップです。特に、自分の性的な意識を明確に自覚する時期なので、そのコントロールには大きなエネルギーを必要とします。同性愛者にとっては、この「危機」は異性愛者よりはるかに大きく辛いものとなって、行く手に立ちふさがります。

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 同性愛者は、思春期になって自分の性的指向に気づきはじめめるやいなや、動揺や混乱が一気に襲いかかることになります。その動揺や混乱が激しくなるのには、次の3つの理由が考えられます。

1. 正確な情報がない……マスコミは同性愛者とトランスセクシュアルの人たちとを混同したり、同性愛者を性的なだけの存在だと決めつけたり、ゆがんだ情報しか流しません。学校では、まだきちんとした性教育はほとんど行われていませんし、行われていたとしてもあくまで男と女が魅かれ合うという異性愛しかとりあつかわれません。家庭でも、親はほとんどの場合異性愛者ですから、自分の子どもに同性愛の情報を与えようなどとは思いもよりません。同じ少数者であるアメリカのアフリカ系の人々や在日朝鮮人と比べた場合、親から自分達の民族の情報や誇りを話してもらえる可能性があるし、親自身が自分と同じ少数派であるということを見ているだけでも、自分を受け入れる土台が作れるのに対して、同性愛者はかなり厳しい状況に置かれていると言えましょう。いずれにせよ、同性愛者の周りには、朝から晩まで異性愛こそが「フツー」で「当たり前」であることを前提とした情報が流され続けていますから、同性に魅かれる自分自身を正確に認識するどころか、周りからはみ出した「よくない」人間であると思い込んでしまうようにならざるを得ません。

2. ロールモデル(お手本)がいない……異性愛者の場合、苦しい思春期を乗り越える時に、すでに乗り越えて「大人」になっているロールモデル(お手本)を自分の周辺から簡単に見つけることができます。テレビや雑誌などで見るタレントやスポーツマンのようになりたいという気持ちが自分を支えてくれることもありますし、「こんな親にはなりたくない」という形で反面教師的に親をお手本にすることもできます。一番の悩みである恋愛にしても、小説やドラマにいくらでも描かれていますし、両親の実態や経験から学ぶこともできます。目の前にいる異性にならば、恋愛感情を表現することもそう難しくはありませんし、友達どうしで恋愛経験を共有することもできます。
 ところが、同性愛者は、同性愛者として性的指向を明らかにして生き抜いているロールモデルを身近なところで発見することはまずできません。テレビなどで、ゲイやトランスセクシュアルであることを売り物にして登場してくるタレントもいますが、そのほとんどが自分を世間の「笑い者」にすることでタレント生命を維持しているわけですから、その生き方はまったく参考になりません。したがって、同性愛者はどのように「大人」になっていくかを全く自分だけの力で考えていかなければなりません。10代半ばの子どもたちにとっては、かなり酷な作業です。

3. 社会からの偏見・差別……思春期の同性愛者たちは、自分が同性愛者であることが周りに知れたら、たくさんの不利益を受けるということに容易に気づいてしまいます。それは、マスコミや学校や家庭が、同性愛と聞くと笑ったり軽蔑したりすることによって、同性愛者は否定されるべき存在であるという偏見を広め続けているからです。さらに、ちょっとでも自分が同性に魅かれていることをほのめかしたり、あるいは悟られたりした時、周りが直ちに嫌悪感や敵対心をむき出しにしてくることから、自分の同性指向は世の中に受け入れられていないことを簡単に知ってしまいます。
 自分の性的指向について相談できるところを探そうとしても、同性愛者に対して電話相談をやっている団体は『動くゲイとレズビアンの会』『HSA札幌ミーティング』 『AGP』など、ほんの数団体しかありません(それでも、以前に比べれば少しずつ増えてきているとは言えますが)。その上、その電話番号を知るにもほとんど手段がない状態です。同性愛者向けの雑誌は、確かに大量に出版されてはいますが、販売が大都市だけに集中している上、思春期の同性愛者が書店で見かけてもそれを買う勇気を持つのはほとんど不可能に近いでしょう。なぜならば、買うところを他人に見られたら、どんな事態が起こるかすぐに想像できるからです。
 こうした中で、思春期の同性愛者たちは自分自身を世の中から受け入れられない否定された存在であるという認識を形成してしまうばかりではなく、自分の存在そのものが価値の低い否定的な存在であると思い続けるようになってしまうのです。したがって、自分が同性指向であるということを確認すればするほど、孤立感をより深めていくことになります。アメリカの教育学者ヘトリックとマーティン(同性愛者のカップルとして若い同性愛者を援助する団体=ヘトリック・マーティン協会を創立)によれば、この孤立は次の3つの側面を持っているといいます。

1. 社会的孤立……自分と同じ性的指向を持つ人間に出会うことが著しく困難であるために、「話し相手」を持てず孤立すること。 
2. 感情的孤立……自分と同じ同性愛者に出会えない上に、周りの異性愛者にも受け入れられる可能性が少ないので、自分の感情を表現したりぶつけたりする相手に出会えず、友情・愛情を築いたり受け取ったりすることができずに孤立すること。 
3. 認識上の孤立……自分に自信が持てず、正確な情報を得る方法もわからないために、性的指向に関して全く無知であったりいわゆるステレオタイプ(異性愛者が作った型にはまった同性愛者のイメージ)を信じきっていたりして、自分が何者であるかということがわからないために孤立すること。

 思春期の同性愛者たちは、このような過重な負担を背負った結果、生きていく上で様々なトラブルに見舞われることになります。学校や職場では、勉強や仕事でつまづいたり、学校や職場を辞めざるを得なくなったりします。家族に対しても心を開けなくなり、同性愛者であることがわかれば、暴力を振るわれたり、家を追い出されたりして、若くして自立生活を余儀なくされることもあります。一般的に、必死に同性愛者であることを隠している上に、常に自分を否定的に見ていることから、人間関係を作ることがどんどん困難になっていきます。どんな些細なことに対しても、常に「自分が悪い」として自分を責め、心理的に非常にもろい状態におちいります。さらに、こうした状態が進むと家に「引きこもり」の状態になったり、神経症になったりする同性愛者も少なくありません。不安定な状態を薬物で紛らわす同性愛者も出てきますし、極限として自殺を選択してしまう同性愛者もいます。最終的には、自分自身に肯定的になれないために、向上心や自分自身への期待が失われ、自己実現に対して極めて消極的になっていきます。自分がどのように生きていったらいいのかが全くわからなくなってしまうわけです。

 以上述べてきたように、思春期の同性愛者は極めて厳しい状況に置かれています。ここを乗り切るためには、同じ同性愛者と出会って、安心し合える人間関係を持ち、自己肯定感を少しずつ増やしていくしかありません。このホームぺージを読まれている親・教師の方々には、そうした子どもたちに対して、できるだけ正確な情報を伝え、最低でも同性愛者に対する偏見や差別が含まれている情報を否定していただきたいと思います。

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(3)同性愛者の生活権
 

 ほとんどの人にとって、社会は、異性愛者だけで構成されていて、同性愛者など存在しない、というのが「自明の理」「大前提」になっています。ということは、社会のしくみは、同性愛者を全く視野に入れず、異性愛者だけのために作られているわけですから、同性愛者には、様々な不利益が生じることになります。

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 異性愛者は、結婚届を役所に出すだけで、たくさんの優遇措置や権利を獲得することができます。例えば、「夫婦」という単位で会社や商店を経営すれば、同性のカップルの場合に比べて、かなり税金が節約できます。「夫婦」なら、家を建てる時も、資金の調達が容易になります。また、パートナーの一方が「扶養家族」となっている時には、税金が安くなるのはもちろん、会社からも多様なサービスを受けられますし、何より、土地や財産を「相続」することができます。

 ふたりで暮らしている同性愛者の一方が死んだ場合、相手の所有物を「相続」できないばかりか、一緒に住んでいた家を追い出され、葬式に出席できないということすらあります。相手が急病になって入院した時も、相手の親や親戚にパートナーであることを知らせていなかったら、病室にも入れてもらえないかもしれません。意識不明などになった時、どんな治療をするかについても、一番病人のことをよく知っているはずのパートナーの意見は、全く無視されることになりかねません。実際、手術をするには、血縁関係または婚姻関係がある者の同意が必要なのです。

 同性愛者のカップルは、老後にも問題を抱えることになります。異性愛者のように、子どもに面倒を見てもらうわけにはいきません(そもそも、子どもが親の面倒を見るのが当たり前だという日本で特に強い考え方も問い直されるべきでしょう。親と子はそれぞれ独立した生き方を選んでいくべきだと思います)。高齢のカップルに対して、公共機関から受けられるサービスもままなりません。とりわけパートナーの一方が先に死んで、一人暮らしになって病気にかかったりでもしたら、誰も助けてくれる人がいないということも大いにあり得ます。

 今のところ、同性愛者どうしが近所に住んでお互いに助け合っていくしか道はないようです。アメリカやヨーロッパの大都市では、同性愛者たちが集まり住んでいる街があり、同性愛者だけで経営されている会社や商店があるなど、生活感のあるコミュニティがあちこちにできています。もちろん、異性愛者と同じ街で助け合いながら生きていくのが理想なのでしょうが、まだまだ偏見と抑圧が強い中では、過渡的な段階として同性愛者どうしの助け合いは不可欠といえましょう。日本でもそうしたコミュニティを作っていこうという動きが始まりつつあります。

 こうした状態を少しでも改善するために、養子縁組をしたり遺言状のようなものを作っておいたりするゲイやレズビアンのカップルもいます。しかし、養子縁組をするにも多くの制限があり、遺言状についても、血縁関係のあるものから訴えられたら実効性が失われる可能性もあるそうです。現在の一夫一婦制をもとにした結婚制度そのものがいいかどうかにも問題がありますから、男女のカップルと同じように、結婚届けを出して「おかみ」に同性カップルを承認してもらうことがベストであるかどうかは、同性愛者の間でも賛否両論があります。ただ、今まで述べてきたような、男女が結婚することによって得られるような優遇措置や権利に関しては、「事実婚」(ドメスティック・パートナーシップ)といった形で保障してほしいという要求は高まっています。

 同性愛者の権利を獲得する運動が進んでいるアメリカでは、多くの都市でドメスティック・パートナー条例が制定されています。例えばニューヨークでは、年齢18歳以上で「共同の責任を伴う緊密で責任ある個人的関係」があり、登録時に1年以上同棲しているカップルならば、同性・異性を問わず結婚しているカップルに近い権利を得ることができます。カリフォルニア州のウエスト・ハリウッド市が最も広く利益を保護しており、健康保険をはじめとする福祉や、病院の面会権・住宅の居住権など、多くの権利を保障しています。また、民間企業でも同性のパートナーを「扶養家族」として認め、異性のパートナー同様のサービスをしているところも少なくありません。

 一方、北欧及びオランダでは、さらに一歩進んで同性どうしの婚姻そのものを法律的に承認するまでになっています。例えば、スウェーデンでは78年に同性愛者に対する差別をなくすための議会の調査委員会が設けられ、その勧告にもとづいて87年に同性愛者の同棲に関する特別法が制定されました。さらに、94年には、同性どうしの婚姻も可能となりました。その他、デンマークでは、89年に世界で初めて同性カップルの登録制度を認める法案が議会を通り、ほぼ「同性婚」が法律的に定着しました。ノルウェーでは、93年に「同性婚」が認められ、オランダでは、「同性婚」にほぼ等しいドメスティック・パートナー制度ができています。EC全体でも、今後同性愛者の様々な権利を保障していくことで一致しており、世界の流れは大きく変わろうとしています。

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